写真には、中心に建つ金堂が写っている。金堂の背後には五重塔、その後ろには回廊の一部が見える。中門、五重塔、金堂と講堂は一直線上に並んでいるが、この伽藍配置は四天王寺式と呼ばれる。
照片上展示的是建在寺中心的金堂。金堂背后屹立着五重塔,其背后能看到回廊的一部分。中门、五重塔、金堂与讲堂排成一直线,这种伽蓝的设计被称作“四天王寺式”。
6世紀には、崇佛派の蘇我氏と排仏派の物部氏という二大勢力の激しい抗争があった。その争いで蘇我氏に味方した聖徳太子が、勝利を願って四天王寺を建立する誓いをたて、勝利の後その誓いを果たすために建立したもの。安置されている四天王とは、北を守護する多聞天(毘沙門天)、東の持国天、南の増長天と西の広目天である。
6世纪时,提倡佛教的苏我氏与排斥佛教的物部氏两大势力之间发生了激烈的斗争。在这场斗争中,圣德太子站在了苏我氏一方,他立下誓愿,如果获胜就建立四天王寺,其后果然获胜,于是为还愿建立了寺院。寺院中供奉的四天王分别为守护北方的多闻天、东放的持国天、南方的增长天与西方的广目天。
四天王寺の建立には、外来者に強い印象を与える場所が選ばれた。難波(現在の大阪)は、アジア諸国から日本に来航する商人や外交使節にとって最も重要な入国地点だった。四天王寺は、外国からの訪問者が最初に目にする建物だったろう。ここからの眺めは圧巻で、五重塔の最上階からは淡路島が見えたと言われる。また、僧侶や信者が黙想の一つとして、大阪湾に沈む夕陽を拝む場所でもあった。
为了建立四天王寺,人们选择了能给外来者留下强烈印象的地方。难波(现在的大阪)对从亚洲诸国航往日本的使节和商人来说,是最为重要入国地点。或许四天王寺就是外国访问者最先看到的建筑物吧。相传从这里眺望的风景堪称一绝,站在五重塔的最高处,能将淡路岛收入眼底。同时它也是僧侣和信徒们默想的场所,远远可见沉入大阪湾的夕阳。
聖徳太子が、女帝推古天皇(在位593~628)の治世に仏教を日本に導入する上で演じた役割は大きかった。奈良の法隆寺は、1993年に日本で初めてユネスコの世界遺産に指定されたが、これも聖徳太子の建立である。法隆寺には、2,300を超える重要文化財や歴史的建築があり、世界最古の木造建築がある。
在女帝推古天皇的治世,圣德太子在引入佛教方面发挥了很大作用。奈良的法隆寺1993年被选入世界遗产,在日本还是第一次。法隆寺拥有超过2300年的重要文化遗产和历史古迹,它是世界上最古老的木造建筑。
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