今年が没後100年の石川啄木に、梅を詠んだ、どこかおかしくて淋(さび)しい一首がある。〈ひと晩に咲かせてみむと、/梅の鉢を火に焙(あぶ)りしが、/咲かざりしかな。〉。3行書きだが、改行と読点をとばして読むと三十一文字(みそひともじ)のリズムになる
▼今年是石川啄木逝世100周年,他的这首咏梅诗略带奇幻和凄凉。〈一晚盼梅开,盆栽移炉旁,临火加烘焙,开花已无望。〉尽管是3行诗,但略去换行和标点,读起来仍然是三十一个音节的节奏。
▼実際に試したのか空想かはおいて、にじむ屈折は、思うにまかせぬ人生の投影だろう。しかし梅は、せっかちをしなくても寒さの中へきりりと開く。桜や桃が春の花なら、梅は春を呼ぶ花だ
▼不论这首诗是真实的尝试还是虚构的空想,其中折射出的都是事与愿违的人生投影吧。但是,不要为梅花着急,因为它自会在寒冷中傲然挺立。如果说樱花和桃花是春天的骄子,那么梅花就是呼唤春天的使者。
▼中国、宋の陸游(りくゆう)は梅を愛した詩人だった。「落梅」という詩でこう言っている。桃や李(すもも)がよい季節を選んで咲くのは、それでかまわない。だが氷と雪がきびしく張りつめる大地に、力いっぱい春を甦(よみがえ)らせようとしているのは誰か。梅ではないか――(『陸游』岩波書店)。花の姿に「凜(りん)」の一字が似合うゆえんだろう
▼中国宋代诗人陆游格外钟爱梅花,他在《落梅》诗中这样写道“桃李之花择暖季而开放,无可非议。但冲破冰封的大地,意气风发唤醒春天的又是谁呢?非梅花莫属。” (摘自《陆游》岩波书店出版)。这就是梅花的形态和“凛”字最为贴近的缘故吧。
▼その梅が、今年はどこも遅い。気象庁によれば東京の開花は平年より15日も遅かった。立春を過ぎれば「余寒」と言うが、酷寒の風にふるえる日が続く。北国のつぼみは降雪の下で身を固くしていよう
▼然而今年在全国各地,梅花都推迟了花期。据气象厅预测,东京的花期要比往年推迟15天。立春过后有“春寒料峭”的说法,就是说凛冽的寒风还会持续数日。北国的花蕾应该还在积雪之下顽强抗争吧。
▼思えば2月は不思議な月で、光は春なのに冬がきわまる。没後70年、与謝野晶子の詩「二月の街」はうたう。〈春よ春、/街に来てゐる春よ春、/横顔さへもなぜ見せぬ。/春よ春、/うす衣(ぎぬ)すらもはおらずに/二月の肌を惜むのか……〉
▼回想一下,2月真是个不可思议的月份。尽管是春天的阳光但也是冬日的尽头。辞世70周年,与谢野晶子的诗“二月街”再次响起:〈春天啊春天,来到街区春天,拂过侧脸却看不见,春天啊春天,薄衣也没有准备一件,难道是在怜惜二月的肌肤……〉
▼寒気が流れ込み、週末はきびしく冷え込むという。だが、寒さの底で何かが兆している。ぴしり――と氷の割れる音に、耳を澄ます春よ早く来い。
▼据说寒流来袭,周末将格外寒冷。不过,已经有些征兆预示着寒冷走到尽头。冰块开裂,令双耳为之一振的清脆响声所预示的春天快点来吧。
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