小沢昭一さんは、変哲(へんてつ)の俳号で句作をたしなんだ。〈夕刊をかぶり小走り初時雨(しぐれ)〉。その夕刊の、雨よけに使えば真っ先にぬれる1面に、83歳の訃報(ふほう)が出た。怪しげな役で光る名優として、民衆芸能の語り部として、まさに変哲だらけの、代えの利かない才人だった
小泽昭一先生以变哲为其徘号创作过一些俳句作品,<顶着晚报使劲跑,别把衣裳淋透了,满山红叶早凋零,头场冬雨已来到>,若用俳句中所说晚报来遮雨的话,就在这最先湿透的第1版上出现了一则宣布83岁老人辞世的讣告。作为一名以怪诞角色被人称道的名演员,一名大众曲艺的传播者,他还真是位另类得出奇的,无可替代的才子。
▼〈竹とんぼ握りたるまま昼寝の子〉。永六輔さんや桂米朝さんらと楽しんだ作には、たくまざるユーモアの中に、小さきもの、弱きものへの優しさがにじんでいる。〈手のなかの散歩の土産てんとう虫〉
▼<小小竹蜻蜓,我的小精灵,总是不离手,午睡也安宁>,常与永六辅先生以及桂米朝先生鉴赏玩味的这些作品中不显山露水的幽默里,渗透着一种对于娇小者纤弱者的关爱与温馨。<散步归来不空手,送你礼物这里有,摊开手掌仔细看,七星瓢虫(Coccinellidae)在里头>
▼40代から集めた大道芸や露天商、見せ物小屋などの記録もまた、消えゆくものへの惜別だろう。名も無い人々が放浪しながら、食べていくための「地べたの芸」だ。担い手と共に絶える間際、辛うじて映像や音声に拾われたものも多い
▼从40多岁开始收集的一件件涉猎街头艺人以及地摊主儿还有戏班子等的记录资料,恐怕又都成了对于行将消失之事物的依依惜别。这都是些连姓名也不为人知晓得流浪汉为了糊口而练就的“街边技艺”。就在它们连同其主人行将绝迹的当口,有幸被用影像以及录音保留下来的为数还不少。
▼研究者としての業績に、朝日賞が贈られた。2時間近い記念講演の終わり、都心の駅でハーモニカを吹く芸人を語ると自らも一曲。取り締まりに気づいて逃げ出す演技で舞台袖へと消え、喝采を浴びた
▼为表彰作为研究者所获得的如此业绩,曾被授予了朝日奖。就在长达近2个小时的纪念演讲即将结束,说到在市中心车站吹口琴艺人的时候,竟情不自禁地亲自也来上了一曲。当最后以发现有城管后抽身逃走的演技消失在舞台侧幕时,赢得了满场喝彩。
▼TBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は約40年、1万回を超えた。3年前、「ぼちぼち」のしゃれでお墓を取り上げた回に、「千の風」になるのは嫌だと語っている
▼TBS电台“小泽昭一的小泽昭一式心绪”这档节目持续了演播了约40年,超过了1万集。3年前,以“时日无多”的俏皮话谈论起建坟话题的这一集里,还调侃道讨厌“随风而去”呢。
▼「ちっちゃい石ころ一つでもいいから、私の骨のある場所の目印、あってほしいな。そこから私ね、この世の行く末をじっと見てるんだ」。目印は大きめでお願いします。暖かくなったら、世相の笑い飛ばし方を教わりにお訪ねしたいのこころ、である。
▼“只要一小块石头之类的就行,作为埋葬着我这把老骨头的地方,希望还是要有那么个标记。在那里,我呀,正目不转睛地看着这个世界将走向哪里”。我祈望将这个标记做得大一点。当春暖花开的时候,一定会有人们想上那里去求教笑对世俗之方法的,这恐怕正是他老人家的心绪所在吧。
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