閣僚の靖国神社参拝が問題になるたびに、いにしえの「名判決」が思い浮かぶ。実際にあった判決ではない。シェークスピアの劇「ベニスの商人」で下される、「胸の肉を切り取ってもよいが、血は一滴も流してはならぬ」である
每当出了阁僚参拜靖国神社的问题时,我的脑海里就会浮现出从前的那次“世界闻名的判决”。当然,那并不是一次实际存在的,而只不过是莎士比亚戏剧“威尼斯商人”中作出的“可以割下胸前的一块肉,但不能流出一滴血”的判决。
▼参拝のつど、「公人か私人か」が問われる。今回、安倍内閣は「私的な参拝」との認識を示した。「個人の心の問題」というのはその通りだろう。だが重責の大臣から、私人という「胸の肉」だけを、そうすっぱりと切り取れるものだろうか
▼每次参拜,究竟是以“官职还是个人名义”都要被问个明白。这一次,安倍内阁成员表示看法,认为这是一次“个人名义的参拜”,恐怕意思是纯属“个人内心问题”。然而,个人这一块肉能够那么干净利落地从身居要职的大臣身上割取下来吗?
▼とりわけ靖国参拝は、心の問題ながら、相手のある問題である。自国のことに何の遠慮がいるものか。そう思っても、他国への想像を欠いた考えは、国境へ行き着いたとたんに力を失う独善にほかなるまい
▼总之,参拜靖国神社即便是个内心问题,但同时也是个涉及他人的问题。本国的事务何须顾虑?尽管你可以这么认为,可这种缺乏顾及其他国家的想法一旦触及到国境也只能是失去力量的自以为是。
▼不幸な歴史を背景に、この問題自体、切れば血が出る。中国と韓国は態度を硬くした。中韓のもろもろのナショナリズムにも辟易(へきえき)するが、不仲と不信が高じるのは芳しくない。北朝鮮の独裁者を喜ばせることにもなる
▼在不幸历史的背景之下,这一问题本身就是个一下刀就出血的问题。中国和韩国对此态度强硬。对于中韩种种民主主义情绪理当避讳,加深不睦与不信总不是件好事。这也只能使北朝鲜独裁者暗自窃喜。
▼ずいぶん前に、〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ……〉の詩で知られる戦没兵竹内浩三のお姉さんに話を聞いた。話が「侵略」に及んだときの、静かな言葉が今も胸に残る
▼<战死啊哀哉/军队的死亡啊 哀哉……>这是战死军人竹内浩三的一首有名的诗歌,很久以前我曾经想他的姐姐询问过这方面的情况。当谈话涉及到“侵略”时,她那段平静的话语至今仍在心中回荡。
▼「やはり自分の意思ではなくても、フィリピンまで行って戦っているのですから。自分も死んでますけれど……」。他国の人に思いをいたしつつ亡弟に寄せる深い哀惜に、目頭を熱くした。毎度お騒がせの閣僚や議員の参拝が、どこか薄っぺらに見えてくる。
▼“即便不是自己的意思,可你总还是到菲律宾打仗来着,所以,就算结果自己也死在了那里但……”,悼念亡弟的哀惜中包含着对他国国人的顾及,听到她的这番话语不由使我热泪盈眶。再看看每每闹得沸沸扬扬的阁僚议员们的参拜,总觉得有那么点浅薄。
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