風わたる季節、福島県を訪ねて安達太良山(あだたらやま)に登ってきた。標高1700メートル。日本百名山のひとつは、早苗のそよぐ水田越しに、残雪を光らせてゆったりそびえていた。白い雲が西から東へ流れていく
在这清风徐徐的季节我造访了福岛县并登上了安达太良山。这座山海拔1700米,为日本百座名山之一。透过秧苗随风摇曳的水田远远望去,只见它披着银光熠熠的残雪巍然耸立。装点着它身影的洁白云彩由西向东飘然而过。
▼ふもとは若葉。小さなゴンドラを降りたあたりは新芽が萌(も)え出していた。もう何日かで緑に染まることだろう。山頂からは下界の水田が光って見えた。なにごともなかったかのような天地の姿である
▼山脚下已满是新叶,缆车停靠的地方也都萌生出了嫩芽,恐怕用不了几天就将是一片郁郁葱葱的新绿。从山顶俯瞰,只见山下的水田闪烁着光亮,真是一派天地合一的自然景象,如同什么事都不曾发生过似的。
▼ひと月前、春を彩る食材の話を書いたら、福島の読者から便りを頂いた。「まだ春の幸(さち)を喜べません」とあった。東京紙面の声欄にも「ツクシ、ノビル、タラの芽……しかし原発事故以後は、すぐに飛びつけなくなりました」と春を悲しむ人がいた
▼一个月之前,曾刊登过一篇有关为春季增色的食材文章,可没想到见报后却收到了福岛读者的来信。信上说,“春天的山珍尚且不能品尝”。东京版报纸的呼声栏目里也有人发表了为春色而伤感的文章,“芦笋、山蒜(Allium macrostemon)以及楤木(Aralia elata)芽……,目前正是品尝这些山珍的时候,可自打发生了核电站泄露事故以后,已经无法再奔赴那里,尝尝这些时鲜了。”
▼事故原発の周辺では故郷に帰れぬ人が15万人もいる。なのに人間の忘れやすさはどうだろう。安全神話を作った政・官・業は再稼働にはやるばかりだ。メディアにも「のど元過ぎれば」の弛緩(しかん)はないかと、胸に手を当ててみる
▼在发生泄漏事故的核电站周边地区,大约有15万人无法回归故里。尽管如此,对于人的健忘我真不知说些什么好。制造安全神话的政府・官僚・业界却一味的鼓吹再运营。媒体也该手摸胸膛扪心自问,是否也是“过了喉头不觉烫”,有所松懈了呢?
▼安達太良山の頂に立てば、思い浮かぶのは「ほんとの空」である。〈阿多多羅(あたたら)山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ〉。高村光太郎の詩句は〈智恵子は東京に空が無いといふ〉と相まって、空も川も汚れた高度成長期には望郷を誘った
▼站在这安达太良山的山顶上,脑海里浮现的就是这“名副其实的天空”。<阿多多罗山,山顶刺云天,日日见青空,爱妻连声赞>,高村光太郎的诗句与<爱妻智惠子说东京无天空>的观点遥相呼应,在那天空与河川相继遭到污染的经济快速增长期,的确因此而激发了人们的望乡之情。
▼登山者の数は去年だいぶ持ち直したそうだ。しかし近くの観光施設では子どもたちの姿が戻らないと嘆いていた。なし崩しの再稼働に流されていいのかと、山上の青空に問われた気がした。
▼据说登山者的人数从去年开始已经有了相当程度的恢复,不过就当前的观光设施而言,不得不令人哀叹,看不到回归孩子们的身影。就这样一点一点地被再运营所吞没?这么做好吗?我好像觉得遭到了山上蓝天发出的质问。
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