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日语口语:到底怎样的日语才算美

信息来源:网络  发布时间:2015-10-09

  本系列文章为大家提供了日语日常生活口语、日语动漫口语以及有趣的日本方言等内容。希望大家通过小编整理的文章可以慢慢积累,学习到最地道的日语口语!

  「美しい日本語」って何ですか  四年一組 山口浩

  今朝、朝ご飯を食べていたら、お父さんが、「これを読んでごらん」と言って、新聞を見せてくれました。その新聞には、日本語についての記事が出ていました。その記事には、1960年からアメリカに住んでいる日本人の人が、最近、日本でよく使われている、「らぬき言葉」におどろいた、という話がのっていました。

  今天早上吃早饭的时候,爸爸将报纸递给我说“读下这个看看”。报纸上登了一篇关于日语的报道。那篇报道讲的是,一位1960年移居美国的日本人惊讶于近来在日本频繁被使用的“らぬき言葉”。

  読み終わって顔を上げたら、お父さんが、「これは何がいいたいのかな」と聞きました。大人の新聞は、むずかしい言葉をたくさん使っていて、よくわからないところもありましたが、その人は、ずっと日本に住んでいなくて、その間に、日本語が変わってしまったので、びっくりしていたのだ、と思いました。ぼくがそう答えると、お父さんは、ニヤリ、とわらいました。こういうときのお父さんは、たいてい何かたくらんでいるので、ぼくは、注意しようと思って、「よくわからないよ」と言いました。

  读完后我抬起头,爸爸问:“这篇文章想讲什么呢?”虽然大人的报纸用了很多很难的词语,有些地方不是很明白,不过我想,应该是说那个人一直没住在日本,在这期间,日语发生了很多变化,他很惊讶之类的吧。我这么回答了后,爸爸抿嘴一笑。这种时候的爸爸,肯定在打什么主意,我得小心,于是便说“不太明白啦”。

  そしたら、お父さんは、「これを書いた人が本当に言いたかったことは何かな」と聞きました。ぼくは、そんなこと、書いた人じゃないからわからないよ、と思いましたが、もう一度読んでみました。それでもよくわかりません。でも、なんとなく、その、外国に住んでいる日本人の人をほめているような感じがしました。それで、ぼくが、「うーん。『美しい日本語』ってあるから、その、外国に住んでいる日本人の人をほめたかったのかなあ」と言ったら、お父さん は、「待ってました」と言いたそうな顔で、人さし指を立てて、「そうそう」と言いました。

  于是,爸爸问:“写这个文章的人,真正想说的到底是什么呢?”我心里想,我又不是写文章的人我怎么会知道,不过还是重新读了一遍,可还是不太明白。但是,总觉得这篇文章在夸住在国外的那个日本人。于是,我说:“唔……因为有提到‘美丽的日语’,所以是想夸那个住在国外的日本人吧。”爸爸一副“就等你这句话”的样子,伸出食指说:“没错没错。”

  そしたら、お父さんは、「じゃあ、『美しい日本語』って何だろう」と聞きました。ぼくは、「お父さんはこれが聞きたかったんだな」と思いました。らぬき言葉におどろいたということは、らぬき言葉は「美しい日本語」ではないはずです。きっと昔は、らぬき言葉はなかったのでしょう。それで、ぼくは、「昔 の言葉じゃないかなあ。だって、この人は、昔の日本語しか知らなかったんでしょ?」と言いました。そしたら、お父さんは、「じゃあさ、今の日本語は、美しくないのかな?」と聞きました。

  然后,爸爸又问:“那么,‘美丽的日语’又是什么呢?”我心里想,爸爸原来是想问这个啊。既然那人惊讶于“らぬき言葉”,也就是说“らぬき言葉”应该不是“美丽的日语”。“らぬき言葉”以前也一定没有吧。于是我回答道:“是不是以前的语言啊,因为这个人只知道以前的日语嘛。”爸爸接着问:“那么,现在的日语是不是就不美了呢?”

  ぼくは、よくわかりませんでした。ぼくたちは、ふだん「らぬき言葉」をふつうに使っています。だから、それが「美しくない」とはあんまり思いません。でも、学校で、先生が、「今はそういうことばをよく使うけど、あらたまったところではあまり使わない方がいいね」と言っていました。あらたまったところでは、ていねいな言葉を使わなければいけません。たぶん、らぬき言葉はていねいな言葉じゃないから、「美しい日本語」にはならないのでしょう。

  这个,我就不是很懂了。“らぬき言葉”什么的,我们平常就那么用着的。所以,也没觉得是不美的。但是在学校里,老师会说:“虽然你们现在经常用这样的日语,但是在正式的场合最好不要用哟。”在正式的场合,说话必须要有礼貌。可能,“らぬき言葉”不是有礼貌的日语,所以就不算“美丽的日语”了吧。

  それで、ぼくは、「日本語は昔と今でちがうんだね」と言いました。そしたら、お父さんはニヤニヤしながら、「その通り。じゃあ、日本語はいつ変わったのかな?」と聞きました。ぼくは、「その、アメリカに行った人は、1960年に行ったって書いてあるから、その後じゃないかな」と言いました。そしたら お父さんは、もっとニヤニヤしながら、「時代げきって見たことある?」と聞きました。

  于是,我说道:“以前的日语和现在的不一样吧。”这时候,爸爸边笑边说,“没错。那么,日语是什么时候发生变化的呢?”我回答:“文章里写着那个人是在1960年去美国的,那就是那之后了吧。”爸爸笑的更欢了:“时代剧看过吗?”

  ぼくは、思い出しました。テレビの時代げきは、え戸時代とかの昔の時代をぶ台にしています。そこでは、おさむらいさんとかが、「せっ者は」とか、 「ござる」とかいう言葉を使っていました。でも、1960年にアメリカに行った人は、そういう言葉は使っていなかったでしょう。日本語は、もっとずっと前から、変わってきたということになります。

  我想起来了。电视里的时代剧,是以江户时代或者以前的某个时代为背景的,剧里的武士们会说“せっ者は(自称鄙人)”“ござる(‘ある’‘いる’的敬语)”。但是,1960年去美国的那个人没有用那些日语吧。那么,日语从很早开始就变了吧。

  ぼくがそう言うと、お父さんはうれしそうに、「わかった?」と言いました。ぼくは、「え戸時代は、『せっ者は』とか言ってたんだよね?そういう人からみれば、1960年にアメリカに行った人の日本語も、『美しくない日本語」だったのかもしれないね」と言いました。そしたらお父さんは、「そう。そして、いつの時代も、年寄りたちは、若い人たちの言葉を、悪く言い続けてきたんだ」と言いました。

  我如此回答后,爸爸好像很高兴,问:“明白了?”我说:“江户时期,人们会说‘せっ者は’之类的吧?也许在那时候的人看来,1960年去了美国的那个人的日语也不是美丽的日语吧。”爸爸回答道:“没错。而且不管是什么时代,上了年纪的人都会一直说年轻人说的日语不好什么的。”

  千年以上前の「まくらの草子」という本も、「日本語が乱れている」となげいているのだそうです。お父さんは、「そんなに昔の言葉が美しくていいなら、50年前じゃなくて、千年前の日本語に戻ったらいいんだよ」と言って、笑いました。ぼくは、50年前の日本語がそんなに美しいなら、千年前の日本語はどんなに美しいだろうと思って、ちょっと聞いてみたい、と思いました。

  千年以前的《枕草子》中,据说也感叹“日语使用混乱”。爸爸笑说:“既然觉得还是以前的文字美,就干脆回到千年前的日语吧,五十年前算什么嘛。”我心里想,五十年前的日语都那么美了,千年前的日语该有多美啊,好想听听看啊。

  そしたら、お父さんは、「まだあるよ」と言いました。らぬき言葉は、実は、大正時代にはもうあったそうです。つまり、1960年にアメリカに行った人が生まれたころには、もうらぬき言葉を使っている人がいたということになります。ぼくが、「そうか、この人がびっくりしたのは、昔はなかったからじゃなくて、この人が知らなかっただけなんだね」と言ったら、お父さんは、「そういうことになるね」と言いました。

  然后爸爸又说:“还有呢。”据说“らぬき言葉”实际上在大正时期就有了。也就是说,那个1960年去了美国的人刚出生的时候,就已经有人在使用了。我说道:“这样啊。那这个人如此惊讶是因为他不知道,不是以前没有啊。”

  それで、お父さんは、「もちろん、その時その時で、人が『美しい』と思う言葉はあるよね」と言いました。確かに、ぼくも、テレビに出てくるタレントがしゃべっている言葉は、あんまり美しい日本語とは思えません。でも、同じテレビでも、ニュースを読んでいる人がしゃべっている言葉は、美しいかどうかはわかりませんが、ていねいだと思います。ぼくたちも、先生と話す時は、友だちと話す時より、ていねいな言葉を使います。

  于是,爸爸说:“当然,每个时期都有当下人们所认为的美丽日语存在嘛。”确实,我也没觉得,电视里明星说的日语有多么美。不过,同样是电视,读新闻的人说的日语,美不美我不知道,但是很正式。我们和老师说的日语,也比和朋友们说的要正式。

  ぼくが、「言葉は、人によってずいぶんちがうよね」と言ったら、お父さんは、「そうそう。なのにこの新聞では、美しくない日本語はみんな若い人のせいになってるでしょ」と言いました。見ると、確かに、記事には、「「ら抜け」世代」という言葉が出てきます。どう見ても、若い人たちをさしているようです。50年前にも、らぬき言葉を使っている人がいたのに。

  我说道:“语言这东西要看人的吧。”爸爸回答:“没错。可这新闻,却把不美的日语怪罪到年轻人身上对吧。”我再看了下,确实如此,在报道中,出现了“‘ら抜け’的一代”这个词。不管怎么看,都像是在说年轻人。明明50年前就有人用“らぬき言葉”的说。

  ぼくは、「昔からあった言葉なのに、若い人たちばかり悪くいわれるのはずるいね」と言いました。そしたら、お父さんは、またニヤリとして、「でも、ここには、若い人が悪い、とは書いてないよ」と言いました。ぼくは、「でも、これを読んだら、みんなそう思うんじゃないかなあ」と言いました。

  于是我说:“明明是以前就有的,却光怪在年轻人身上,真狡猾。”这时,爸爸又笑了:“但是,这里可没说年轻人不好哟。”“可读了这内容大家都会这么觉得吧。”我回答。

  そしたらお父さんは、うんうんとうなずきながら、「よくわかったね。そう、そこがこの文章の一番悪いところなんだよ。はっきり書かないで、でも読んだ人をそう思わせる書き方だね。らぬき言葉がきらいなら、はっきりそう書けばいいのに、そうすると、だれかに文くを言われるかもしれないから、こうやってわかりにくくして、でも読んだ人がそう思うように書いてるんだね。ずるいやり方だと思うよ」と言いました。

  于是爸爸边点头边说:“理解的很透彻嘛,正是这样。这就是这篇文章最不给力的地方啊。不写清楚,却让读的人都这么觉得。要是讨厌“らぬき言葉”,就明明白白写出来嘛,不过要是这样了,可能会有人不满。写的不清不楚却让看的人心里明白,真是狡猾啊。”

  ぼくが、「じゃあ、こういう日本語は美しくないのかな」と言ったら、お父さんは、「そうだね。どんな言葉を使うかだけじゃなくて、どういう気持ちで、どんなたい度でその言葉を使うかってことも、「美しい日本語」には大切なんだろうね」と言いました。

  我问道:“那这样的日语就不算美吧?”爸爸回答:“对啊。除了措辞以外,使用日语时的心情和态度也很重要。”

  ぼくは、とてもよくわかった気がしたので、「じゃあ、ウソをつくのも、美しい日本語じゃないね」と言ったら、お父さんは、「そうだね」と言いました。そこで、「だったら、こないだ約束した遊えん地、今度の日曜に行こうよ」と言ったら、お父さんは、「いやーそのー、ちょっと、いろいろと大人の事じょうが・・・」とか何とか言いながら、向こうに行ってしまいました。ぼくは、大人が美しくない日本語を使うのは、大人の事じょうがあるからなのだな、と思いました。

  我终于明白了:“那……说谎也不算美丽的日语咯?”“对啊。”爸爸回答。“那么,上次约好说去游乐园的,这个周日去嘛。”“哎哟……那个啊……大人事儿多也是很无奈的啊……”爸爸听我这么一问,边说边走开了。我心想,大人之所以会用不美的日语,也是不得已的啊……

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