次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1、2、3、4から最も適なものを一つ選びなさい。
異世代間の交流がなくなったというのは、学校制度にも原因の一端があると思います。人間の交流には、システム型の集団とネットワーク型の集団があり、ネットワーク型の集団というのは、個人的、偶発的だと思うのです。それに対し、システム型は学校です。これはよく言う話ですが、たとえば母親に親友がいて、そこへ家族ぐるみ(注1)で遊びに行って、向こうでの友達ができたというような場合、これはたとえば鎌倉と横須賀の学校が交流するというようなものではなくて、個人的なものです。あるいは古い話になりますが、大学時代ジャズ喫茶に入りびたってる(注2)と、そこに同志社大学の学生もいて、立命館大学の学生もいて、それで知り合いになるというような行きずり的、偶然的、個人的なつながり、それが減っているのではないでしょうか。(『寄り道して考える』による)
注1:家族ぐるみ:それぞれの家族全員で。
注2:入りびたる:その場所によく行く。そこにい続けてなかなか帰らない。
人間の交流で「行きずり的、偶然的、個人的なつながり、それが減っている」のはなぜだと言っているか。
1.学校の中で学生同士の上下関係をきびしくさせているから。
2.制度の似ている学校だけで、おたがいの交流をさかんにやっているから。
3.システム型よりネットワーク型の集団の方がよいと考えられているから。
4.学校での生活以外に個人が偶然知り合う機会が少なくなっているから。
正解:4
不同年代的人的交流越来越少,学校制度也算的上其中原因。人类间的交流,有体系型(system)集团和网络型(network)集团。网络型集团被认为是个人的、偶然产生的。对比前者,体系型就是学校了。仔细说的话,就好比母亲有亲朋好友,家族全员游玩的时候,在外面交到朋友的情况、就好比不是鎌倉学校和横須賀学校交流,而是个人行为。或者说以前的时候了,大学时代长期泡在爵士咖啡厅,在那里有同志社大学的学生,也有立命馆大学的学生,在那里相识相知,不期而遇的,偶然的,个人的联系,这种事情不是正在减少吗?
①做阅读时间够的话,我们就慢慢来分析一下。
異世代間の交流がなくなったというのは、学校制度にも原因の一端があると思います。
在这句话里面,一端这个词有两种翻译,一可以理解为是原因的一部分;二可以理解为原因的一面。
学校制度的原因,估计就是两所学校之间的交流,两个体系之间的接触。
之后讲了两种不同的交往形态,注意network型的才是偶然的,个人的;system型的是学校制度所引导的交往,是两个体系之间的碰撞。
下面举例家族间一起游玩时产生的交往就不同于两所学校间的交流,是个人的。
【これはたとえば鎌倉と横須賀の学校が交流するというようなものではなくて、個人的なものです。】
最后那一句话就很清楚了,举出以前学生间只因为同泡在一个地方,不期而遇的一群人,在偶然的时间地点,相识相知。
问题问的是行きずり的、偶然的、個人的なつながり减少的原因。
问题就可以揭示文中第二句话下定义的原因。
network型的才是偶然的,个人的。
翻译过来,问题就是在问network型的交流减少的原因。
文中最后一句话是在怀念以前学校生活之外,还能交到朋友。很难得,也很自然而然的缘分。
也是在感慨现在这种机会少了。就是答案4了。
而答案2是在讲system型间的交流,我觉得不能解释network型交流减少的原因。
異世代間の交流がなくなったというのは、学校制度にも原因の一端があると思います。
有同学认为这一句是在开章明义,如果是的话,后面就应该着重讲system型交流导致network型交流减少的现状,或者举例。
而文章后面却是在举例network型交流与system型之间的不同,最有一句甚至直接点出这种偶发的,个人的交往正在减少。
多读两遍才发现文章第二句下定义有一个很强的逻辑关系:
network型=行きずり的、偶然的、個人的なつながり=学校之外生活中的相识
system型=学校制度下おたがいの交流
不选3的原因在于,文章没有明确的比较两种关系孰优孰劣的意思啊。
以上就是日语能力日语能力考N2读解练习120的相关内容,阅读没有更好的办法,基本知识掌握牢固的前提下要多做练习,把握做题规律,祝各考生取得一个好成绩。
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