次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1、2、3、4から最も適なものを一つ選びなさい。
子供の頃、私は母や近所のおばさんたちが、「うちの子はまだご挨拶もできませんで。」などと言っているのを聞いて、どうしてあんなことを気にするのだろうと、不思議に思っていた。大きくなってからも、大人の人たちが、「あの人の挨拶は立派だ。」とか、「あの人は挨拶の仕方も知らない。」とか言っているのを聞くと、たいした意味もないことを、どうしてそんなに問題にするのだろうと、おかしく感じていた。天気がいいとか悪いとかいうような、わかりきったことを言い合うよりも、お互いに誠意を持っていることこそ大事なのではないか、誠意はだまっていても通じるはずだ、と決め込んでいた。
私はその後、学校を出て、ある中学校の教師になった。その学校へ行ってまず驚いたことは、先生も生徒も、朝、顔を合わせると、「おはようございます。」帰るときは、「さようなら。」と、かならず声に出して挨拶していることだった。
それまで私は、知っている人に会うとだまって頭を下げ、親しい友人には「やあ。」と言うと、会釈をするぐらいのものだった。が、生徒や同僚たちが明るく挨拶し合っているところを見ると、いつのまにか、こういう挨拶をするのも意味のあることだと感じられてきた。しかし、ほかの人たちと同じように、「おはよう」や「さようなら」を声に出して言おうとしてみると、それはなかなか容易なことではない。簡単な言葉だと思っていた「おはよう」や「さようなら」が、簡単に言えない。だいいち、容易に声が出ない。思い切って言ってみても、なんというあやふやな「おはよう」であろう。それに比べて、同僚や生徒の「おはよう」は実にはっきりしていて気持ちがいい。私は、なるほど「おはよう」にも、りっぱなのとそうでないのとがあると、初めて気がついた。
きまりの悪い思いをしながら、毎日努力して言っているうちに、だんだん私にもはっきり言えるようになってきた。それと一緒に、声に出して言う本当に明るい挨拶は、決して口先だけでできるのではない。心の真実が、そのまま身の構えになり、声になったものこそほんとうの挨拶である、ということがわかってきた。
「簡単に言えない」とあるが、どうしてか。
1 難しい言葉だから。
2 今まで挨拶をしたことがないから。
3 挨拶は必要ないから。
4 声に出す挨拶は意味がないと思っていたから。
「 きまりの悪い思いをしながら」とあるが、どんな意味か。
1 気持ちが悪いと思いながら
2 恥ずかしいと思いながら
3 言いたくないと思いながら
4 きまった言い方がないと思いながら
結論として筆者は何を言いたいのか。
1 大きな声で挨拶すれば必ず心の真実が通じる。
2 誠意があれば明るい挨拶ができる。
3 毎日努力すれば立派な挨拶ができるようになる。
4 誠意を声に出してこそほんとうの明るい挨拶になる。
正解:224
第一题:作者为什么不能简单的说出来
估计就是在2和4的分歧,
不选4在于作者之前认为诚意比说出口更重要,而不是说出声的寒暄没有意义。
选2在于作者从小到大真的没有,或者很少有过说出口的打招呼。
第二题:这个句子额……我觉得没什么好说的
第三题:从结论来看,作者想说的是什么
参考译文:
小时候,我听到母亲和周围的阿姨们说“我家的孩子真是连招呼也不会打”之类的话,为什么会在意那种事情呢,我觉得很不可思议。长大之后也听大人们说“那个人真是很会应酬啊”、“那个人连寒暄话都不会说”,原本没什么意思的事情,为什么会成了问题呢,我觉得很奇怪。天气好坏啊之类,比互相说着显而易见的事,以诚相待才是最重要的,有诚意的话即使沉默也是行得通的,我如此断定。
那之后,离了学校、成了中学校的教师。进这个学校最先让我惊讶的事情就是,无论老师学生,早上见面的时候会说“早上好”。回去的时候会说“再见”。绝对会大声打招呼。
这之前,我在见到认识的人的时候会默默的低一下头,好友说嗨,我也只到颔首示意的地步。然而,看到学生同僚他们明快的打招呼,不知不觉间明白了这种打招呼的意义。却不能像他们那样,大声说出“你好”、“再见”,这对我来说,不是一件容易办到的事。简单的你好,再见,不能简单地说出口。首先,都不能容易的出声。决心说出来,也是模模糊糊的你好。这样比起来,同僚和学生们说的你好,实在是很轻快,感觉很好。原来如此啊,我第一次意识到,即使是一个“早安”,也有得体的和不得体的分别。
惭愧的是,每日努力的说,渐渐的我也能清晰的说出来了。与之同时,正真轻快的寒暄,绝不是只是口头上说说而已。我最终明白心底的真实想法,就那样转变为肢体语言,最后成了声音才是真正的寒暄。
以上就是日语能力日语能力考N2读解练习172的相关内容,阅读没有更好的办法,基本知识掌握牢固的前提下要多做练习,把握做题规律,祝各考生取得一个好成绩。
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