デジャ・ヴュというフランス語を最近、雑誌などでよく見かけるようになったが、どこかそれに似てなくもない現象に出会って、愕然(がくぜん)とさせられることがある。
それは、たとえばこんなふうに起きる。本を読んでいて、あるいは散歩の道すがらなどで、ぐうぜん目にはいった事柄について、それまでは考えてもみなかった疑問をおぼえたり、興味をそそられたり、感動を喚び(よび)覚まされたりするがある。対象は本ぜんたいであることもあり、その一部分であったり、ときには、ぐうぜん通りかかった道の名にすぎないこともある。ここまでは、だれでもに起こることだろう。
しかし、私の場合はそこで終わらない。それはこうである。本で読んだり道で見たりしたその瞬間には、あ、そうか、ぐらいで済むのだが、とういうものか、それからまもなく、たとえば数日とか数時間、ときには数週間をおいてから、こちらの意志とはまったく関わりなく、ふたたびおなじ事柄に別の本のなかでばったり出会ったり、それが人との会話に出てきたりして、自分ではほとんど忘れかけていた興味なり感動なりが、再度、喚び覚まされるのだ。しかも、それが一度とはかぎらないで、くりかえし、おなじことが起こる。
ぐうぜんといえばぐうぜんなのだろうが、こちらがそんな経験を持ったことを知っているはずのない人から、その事柄についての本をもらったり、こちらが訊ねもしないのに、そのことが相手の口にのぼったりして、えっ、どうしてなの?と驚く。まるで物事の背後に目に見えないネットワークとか電線がひそかに敷かれていて、それがこちらの興味のおもむく方向を本人である私の知らないまに把握し、支配しているのではないかと疑ってしまうほど、なんともいえない奇異の感に打たれるから、「知識は連なってやっている」といいたくなるほどだ。どこかで陰謀をねっているヤツらがいるに違いない。
(須賀敦子「ザッテレの河岸で」『ヴュネツイア案内』新潮社による)
「注:」デジャ・ヴュ:既視感。以前見たことがあるの意。記憶遠いの一種。未経験のことを経験したことがるように感じること
この文において、筆者が言いたいことは次のどれか。
1 本を読んだり、散歩をしている時に、デジャ・ヴュをよく経験し、愕然とさせられることがあり、誰かに支配されているように感じ、気持ちが悪い。
2 デジャ・ヴュを経験した後で、また何度も同じような経験をし、不思議で、「知識は連なってやってくる」ということを実感している。
3 デジャ・ヴュだと思っていたが、本当は知らないところで私の興味を把握するネットワークがあり、陰謀が練られているに違いない。
4 普通の人が経験しないようなデジャ・ヴゅを経験し、これは誰かが私に連続して知識を与えているのだと思うようになった。
解析:
1 支配しているなど、本当に筆者が信じていることではなく、それほど不思議に感じるという例であるから。
2 正確。
3 陰謀を練っているなど、理由は1と同じ、例ですから。
4 誰かが私に知識を与えているのではないので、×。
参考译文:
“似曾相识”这法语词最近经常在一些杂志上看见,在某处碰到酷似的现象,有时为此大吃一惊。那就好比发生了下面这样的事。看书,或者是在散步的途中闲庭信步,映入眼帘的事有时会有前所未有的疑惑,或是勾起了兴趣,唤起了感动。对象可以是本身的全部,也可是一部分,有时只不过是偶尔穿过的街道的名字。到这里为止,谁都有过(这样类似的经历)吧。但在我的立场那还没有完。那就是如下这样的:或读书或看见街道的那一瞬间中,啊,这样啊,差不多就好了,到底是什么东西呢,那之后不久,比如几天也行只要几个小时,偶尔要几周,和我们一直毫无关系,再次同意的事情在不同的本质中突然撞见,和人们交谈着,连自己都几乎傲遗忘的兴趣和强烈感触,再一次地被那激起。但是,那不仅仅是一次性的,不断反复着,相同的事发生。说是说巧合,但真的只是巧合么,我们应该还没有见过拥有这样经验的人。所以得到关于那件事的本身,我们也没多问,向对方脱口而出,产生了“诶,为什么呢”这样的惊奇。就好像在事物的背后有条看不见的网络也行是铺着一根电线,甚至到了怀疑是不是有种我们未知的东西把握着支配着我们朝着兴趣的方向的地步,一种说不出来的奇异而感动,根本就想说“知识就是关联的”。一定在某个角落有着策划着阴谋的家伙存在。
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