このような眼は日本人にはないのである。僕は一度もこのような眼を日本人に見たことはなかった。その後も特に意識して注意したが、一度も出会ったことがない。つまり、このような憎悪が、日本人にはないのである。「三国志」における憎悪「チャタレイ夫人の恋人」における憎悪、血に飢え、八つ裂きにしてもなおあき足りぬという憎しみは日本人にはほとんどない。昨日の敵は今日の友という甘さが、むしろ日本人に共有の感情だ。およそ仇討ちにふさわしくない自分たちであることを、恐らく多くの日本人が痛感しているに相違ない。長年月にわたって徹底的に憎み通すことすら不可能にちかくせいぜい「食いつきそうな」眼付き( ① )が限界なのである。
伝統とか、国民性とよばれるものにも、時として、このような欺瞞が隠されている。およそ自分の性情にうらはらな習慣や伝統を、あたかも生来の希願のように背負わなければならないのである。だから、昔日本に行われていたことが、昔行われていたために、日本本来のものだということは成り立たない。外国において行われ、日本には行われていなかった習慣が実は日本人にふさわしいこともありうるのだ。模倣ではなく、発見だ。グーテガシュクスピアの作品に暗示を受けて自分の傑作を書き上げたように、個性を尊重する芸術においてすら、模倣から発見への過程は最もしばしば行われる。インスピレーションは、多く模倣の精神から出発して、発見によって、結実する。キモノとは何ぞや?洋服との交流が千年( ② )遅かっただけだ。そうして、限られた手法以外に、新たな発明を暗示する別の手法が与えられなかった( ③ )である。日本人の貧弱な体躯が特にキモノを生み出したのではない。日本人にはキモノのみが美しいわけでもない。外国の恰幅のよい男たちの和服姿が、我々よりも立派に見えるに決まっている。
1、この文章の直前にあったと考えられる内容を次の1~4から選びなさい。
1 昔の日本人が長い年月の間憎しみを持ち続けて仇討ちをした話
2 キモノは日本の伝統であるので、現代の日本人がキモノを着ないのは伝統の軽視であるという意見
3 外国人が激しい憎悪をこめた眼付きをしたのを見た経験
4 外国人の男たちの立派な姿と個性的な眼付き
2、次の1~4の中から、筆者の主張を一つ選びなさい。
1 昔からその国で行われていたことがその国の人々に最も適している。
2 昔からその国で行われていたことがその国の人々に最も適するとは限らない。
3 昔からその国で行われていたことや、その国で行われていることは尊重すべきである。
4 昔からその国で行われていたことや、その国で行われていることは模倣ではなく発見である。
正确答案:2 昔からその国で行われていたことがその国の人々に最も適するとは限らない。
3、①②③に入る組み合わせとして、最も適当なものを選びなさい。
1 ①だけ ②しか ③ごろ
2 ①ぐらい ②ばかり ③だけ
3 ①ばかり ②ごろ ③しか
4 ①ごろ ②ぐらい ③だけ
正确答案:2 ①ぐらい ②ばかり ③だけ
以上就是日语能力日语能力考N2读解练722的相关内容,阅读没有更好的办法,基本知识掌握牢固的前提下要多做练习,把握做题规律,祝各考生取得一个好成绩。
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