古代ギリシャの詩人ピンダロスは歌う。「戦いは知らざる人には甘美なれど、知る人はその近づくをあまりにも怖(おそ)れる」。世のため国のため、勇ましい男たちが活躍するなど絵空事で、現実の戦争はむごく醜い
▼古希腊诗人品达露丝这样歌咏道:“战争对于不经历它的人或许甘美,但经历过的人一旦靠近都会不寒而栗”。为人类为国家的勇者们奋勇向前都是幻想,现实中的战争格外丑陋。
▼本紙が募った「八月の歌」の入選作に、〈赤紙とおびただしい血と燃える火と赤、赤、赤のノンフィクション〉がある。愛知県立起(おこし)工高3年、長野薫(かおり)さんの一首だ。途方もない戦争の真実に絶句するのも、若い世代には貴い経験だろう
▼本报《八月和歌》的入选作品中有一首是〈火红的军令,如注的鲜血,燃烧的烈火还有那红红红透的记实〉创作者是爱知县立起工高中3年级的学生长野薰。这种对骇人听闻战争实景的一时语塞,也可以算作年轻一代的宝贵经历吧。
▼終戦から67年、日本は幸いにも殺し合いをしていない。人口の78%が戦後に生まれ、悲惨を語れる人は2割いようか。「フィクション」が紛れ込まないよう、体験談を大切に語り継ぎたい
▼在战后的67年里,日本很幸运地没有出现相互杀戮。人口的78%出生在战后,能够讲述那段悲惨历史的人大概只有两成吧。为了不被“本故事纯属虚构”混淆视听,请继续认真地讲述那段亲历战争的体验。
▼戦没学生の遺稿集『きけ わだつみのこえ』(岩波書店)にも歌がある。〈激しかりし敵火の中に我と生きし邦子(くにこ)の写真眺めつ想(おも)う〉。早大を出て、敗色漂う1944(昭和19)年秋からフィリピンなどを転戦した陸軍中尉である
▼战争中丧生学生的未发表原稿集《听啊 大海的怒吼》(岩波书店出版)中也有同类的作品〈在激战的炮火中,多么想凝视着我和邦子的合照〉。作者是一位毕业于早大,在笼罩着战败气息的1944年(昭和19年)秋天转战到菲律宾的陆军中尉。
▼新妻への手紙には「何百枚でも邦子の写真が見たい」とある。その人を二度と抱くこともなく、24歳の彼は鹿児島沖で戦死した。愛する者への思いに今昔はない。これを軟弱とさげすむ世には戻すまい
▼在写给新婚妻子的家书中,他这样写道“想看邦子的照片又何止百张”。至此,他再没有机会拥抱妻子,24岁的他战死在鹿儿岛的海上。对于爱人的思念亘古不变。只是再也不愿回到将此蔑视为软弱的时代。
▼「わだつみ」の出版に尽くした医師中村克郎さんは、1月に86歳で亡くなった。語り部、伝え手を連れ去る歳月は、非情にして優しく、滴るばかりの悲しみをセピア色に染めてゆく。しかし私たちが時の癒やしに甘えては、平和を知らずに息絶えた人に顔向けできない。
▼为出版《海神》而竭尽心力的医生中村克郎先生,于1月逝世,享年86岁。岁月带走了讲述者和传递者,无情而又温柔地将滴落的悲伤染成了深褐色,但是如果我们一味地沉溺于医治伤痛,则无颜面对那些尚未迎来和平就离世的先人。
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