ある電力会社の不祥事についてこう書いた。「こんな会社からはもう買わないと、家中のコンセントを抜いて回るわけにもいかない」。ほどなく読者からご指摘を受けた。論旨にではなく、言葉遣いにである
针对某电力公司的违规操行曾作过如下表述,“决心不再从这样的电力公司购买电力,可家中的插座也不能拔下来随意移动呀。”没多时便受到了不少读者的批评,主要不是针对宗旨,而是针对文章的遣词用句。
▼「ここで抜くべきはプラグです。コンセントは壁にある差し込み口の方で、抜いて回れば火事になる」。ちぎれた配線が火花を散らす図が浮かぶ。心の声は「コンセント抜くって言うよなあ」と強がるも、慣用は疑うべしと反省した
▼有人说:“在这里,可以拔下的是插头。插座是安装在墙壁上的电源插口,如果将其拔下来随意移动的话会着火的。”听了这番话,眼前立刻浮现处了一幅被扯断的电线火花四溅的画面。可是,心里仍有一个声音默默地狡辩说:“习惯上还是说拔下插座的哦。”不过,还是有所反省的:习惯用法也有可质疑之处。
▼なんとなく多用されてきた言葉が、誤用の色を帯びることがある。最近では「愛の鞭(むち)」だ。大阪でバスケ部主将が命を絶って以来、体罰への視線は厳しい。教え子を本気で愛するなら鞭など使えるかと
▼在不少并不在意且经常使用的言语中确实有一些带有谬误的色彩。 最近的议论焦点集中在“爱的皮鞭”上。自从报道了大阪某高中篮球部主力队员自杀身亡的消息之后,人们对于体罚的目光变得严厉了起来。如果是真心关爱学生用得着皮鞭等用具吗?
▼柔道女子の日本代表監督が、選手への暴力や暴言を問われて辞める。日本オリンピック委員会に連名で直訴したのは、五輪メダリストら黒帯15人。余程の話に違いない
▼女子柔道日本代表队的领队因为对队员使用暴力且出言粗鲁而被迫辞职。联名向日本奥委会直接投诉的是15名奥运会奖牌获得者。可见程度之严重毋庸置疑。
▼こそこそ処理しようとした柔道連盟は、選手生命をかけた叫びを何と聞いたか。愛があろうがなかろうが、集団で反乱されるような監督は失格だろう。相手を敬うのが柔(やわら)の道。講道館による禁じ手は世界を巡り、五輪招致に水を差す
▼悄悄地打算自行处理的柔道联盟又是如何听取运动员们拼命发出的呐喊声的呢?无论有没有爱,遭到集体反抗并引起骚乱的领队恐怕已失去了任职资格。尊重对手原本就是柔术之道。这一讲道馆所明文禁止的行为传遍了世界,无疑将对申办奥运形成了一道障碍。
▼「体罰に愛を感じたことは一度もありません」。野球で大成した桑田真澄さんの発言だ。叩(たた)く指導者は、叩かれた選手から生まれる。愛の鞭という幻想と、誤用のリレーをここで断たないと、栄光はいつまでも遠い。スポーツ衰退の回路につながるコンセント、いやプラグは抜いて回りたい。
▼“我从来没有从体罚中感到过关爱。”棒球战绩卓著的球员桑田真澄先生如是说。其实,打人的指导者自己就出身于被打的运动员。如果不能够在此断绝对所谓爱之皮鞭所抱有的幻想和阻止错误行为的延续,那么荣誉的辉煌将永远遥不可及。设置在体育运动日益衰退线路上的插座,哦,不,是插头真想把它拔下来换个地方。
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