《天声人语》是日本权威报纸《朝日新闻》编辑部集体撰写的时事类短文,内容涉及日本社会的所有方面。对于日语学习者,阅读和翻译它,无疑是了解日本、提高自己日语水平的大好方法。
1982年に長崎を訪れたマザー・テレサは一枚の写真パネルに見入ったという。原爆に遭って全身に火傷を負った被写体は、案内役として隣にいる山口仙二さんだった。「尊い今の仕事が続けられるよう、神があなたを生かしてくれた」と彼女は語りかけたそうだ
据说,1982年来到长崎访问的特里萨修女面对一幅照片看得入了神。她发现照片上这个全身遭到核爆炸严重灼伤的拍摄对象就是身旁担任讲解的山口仙二先生。于是,她对他说,“为了今天的这份珍贵的工作,上帝给了你第二次生命!”
2カ月後、山口さんは被爆者として初めて国連本部で演説をする。自らのケロイドの写真をかざし、叫ぶように締めくくった。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウオー、ノーモア・ヒバクシャ」。世界がその声を聞いた
2个月之后,山口先生作为一名核爆炸受害者第一次在联合国总部发表了演讲。他展现着一幅自己疙疙瘩瘩身体的照片,并在结束演讲时几近呐喊地呼吁道,“No more Hiroshima.No more Nagasaki. No more war. No more 核爆炸受害者!”。全世界都听到了他的声音。
6日に82歳で亡くなった山口さんは、14歳のときに被爆した。傷だらけの体を引きずって立ち上がり、生涯を被爆者援護や核廃絶のために捧げた人だった
6日,以82岁高龄辞世的山口先生在他14岁的时候遭遇了核爆炸。他拖着伤痕累累的身体毅然挺立,把一生奉献给了援助与保护核爆炸受害者以及废除核武器的工作。
運動に身を投じる前、絶望に沈んで自殺を図ったことがある。20歳の夏、カミソリで手首を切って大の字になった。気がつくと、シャツの袖で血が固まっていたという。「また生かされた」との思いが新たな出発点になった
在投身于此项运动之前,他曾经因为绝望而企图自杀。那是20岁的这年的夏天,他用刮脸刀片割开了手腕,切出了一个大字形的伤口。等到回过神来的时候,他发现衬衣袖口上的血迹已经凝固了。“我又一次活了下来”的感悟成了他新的起点。
かつて出版した自分史を『115500平方メートルの皮膚』とした。奇妙な題名は、長崎原爆で死傷した人の数から、熱線に灼かれた皮膚の総面積を概算したものだ。「肉体だけでなく、それぞれの生き方にまで及ぼした歪(ゆが)みの深さは、いったいどうやって測るべきか」と厳しく問いかけた
他曾经给一本描写自我历史的书起名为《115500平方米的皮肤》。据说这奇妙的题名是根据长崎核爆炸中死伤人数大概计算出他们被核辐射灼伤皮肤的总面积而得到的。他曾经严肃地问自己,“不仅是肉体,触及他们每个人人生的扭曲的伤痕究竟应该用什么方法测算?”
人類が手にした凶暴な兵器は人類の手で葬るしかなく、魔法の杖はどこにもない。間もなく戦後68年の夏が巡る。遺された志の松明を、次の時代が燃やし続けたい。
人类掌握了的凶残的武器只能依靠人类之手给予埋葬。任何地方都找不到具有魔力的手杖。不久战后第68年的夏天就要来到。斯人遗留下来的意志的火把,希望下一个时代仍旧继续燃烧下去。
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