次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1、2、3、4から最も適なものを一つ選びなさい。
小説が人間の生きる現実の上に成り立つものである以上、その生と死を絶対に縛る<時間>から解き放たれることはあり得ない。というより、より拡大な、より豐潤な<時間>に向けて飛び立ち、漂い出すことを夢みながら、常に腰につけた<時間>の皮肉な命網によってその世界を守られ、限られ、狭められているのが、小説なるものの運命なのではあるまいか。
(中略)
小説がそのように<時間>に固く結びつけられているとはいっても、小説の中で生きて動いているのは日めくりカレンダーや柱時計ではなく、登場人物としての人間達である。もとより、現実生活においても<時間>が見えるわけではない。見えない<時間>をなんとか目に映るものにしようと努力して、人間は暦や時計を生んできたのだろう。けれど、小説の中で時の推移を見えるものとするのは、暦や時計それ自身ではなく、溜息をつきながら暦をめくり、不安げな表情で壁の時計を見上げる、あれこれの人物たちにほかならない。極言すれば、ここでは人間そのものが、ある意味では暦であり時計であるともいえる。とはいっても、人間を単なる<時間>の函数として考えようとするのではない。むしろ、①人間の存在とは、そのままごく自然に<時間>の表現でもあるという一事を述べたかったに過ぎない。
たとえば、こんなことがあるだろう。---一軒の家で暮す一つの家族を描く時、幼い子供達がいる。その父親と母親がいる。この親子は時間の連鎖の中で生まれてきたものである。つまり、父親となる男性と母親となる女性がいたから、はしめて子供達が生まれて来たわけである。よくいわれるところの核家庭とはこの2世代によって構成される家族のことだ。そこでは、いわば②原因と結果が最短距離で向き合い、最小単位の家族を構成しているといえる。
その家族に、更に上の世代、祖父なり祖母なりが加わるとする③3世代の家族が生まれると、これは核家庭とは微妙な違いを見せることになる。親と子の関係は二重のものとなり、単純な原因・結果の環によって祖父母と孫達とをつなげるのはむずかしい。つまり、核家族に比してこちらでは親と子の関係が相対化してくる。ある家族にとって必ずしも必要なものとはいえないこの年寄りの存在は、しかし一方では当の家族にとってまさに<時間>そのものにほかならぬともいえるのではないか。親と子がただ二つの世代で向き合っていた際にはあまり原因・結果の結びつきが直接的であったためによく見えなかった<時間>の姿が、祖父母を加えることによって俄かに立体的なものとして浮び上ってくるということはないだろうか。
年寄り達は、父親(母親)もまた子供であったという事実を示すことによって時の不思議な影を孫達の垣間見せるとともに、自らの古さを通してもそこの降り積んだ時の体積を家族の目の前に晒さずにはいまい。つまり、<時間>は逃げようもない血のつながりを素材として家族の中にその本性を現したわけである。
黒井千次「家族・家屋・時間」による
1.この文章は、小説家である筆者が「時間」について書いたものである。筆者は人間が何のために暦や時計を作ったと言っているか。
1.人間を単なる時間の函数であることから救済するため
2.現実には見えることの不可能な時間を視覚化するため
3.小説の世界の時間の推移をわかりやすく見せるため
4.生死を絶対的に縛る時間から人間を解放するため
2.①「人間の存在とは、そのままごく自然に<時間>の表現でもある」とあるが、それはどのようなことか。
1.時間を表現しようとすると、時計を見るなどの人間の動作を描くことになるということ
2.人間は、自らを縛る時間を意識すると、溜息をついたり不安になったりするということ
3.人間が暦や時計を作ったからこそ、時間を視覚的に表現できるようになったということ
4.人間の行うすべての営みは、意図せずに時間の存在を感じさせるものであるということ
3. ②「原因と結果」とあるが、それは何と何のことか。
1.核家族と2世代
2.父親と母親
3.男性と女性
4.親と子供
4.③「3世代の家族が生れる」とあるが、そのことによってどのようなことがわかってくると筆者は言っているか。
1.子どもには年寄りとの良好な人間関係を作ることがむずかしいということ
2.第三者が入ると、親と子供が直接向き合えなくなるということ
3.人間はいつか父や母となり、そして祖父母になるということ
4.年寄りが家にいれば親は必ずしも必要ではないということ
5.この文章の内容と合っているものは次のどれか。
1.小説家は、人間を単なる<時間>の函数としないために、家族という人間の結びつきを立体的に描かざるを得ない
2.小説家は、<時間>の重さを表すために、時の不思議な影を垣間見せる年寄りを登場人物に入れなくてはならない
3.小説家にとって小説の中で家族をいかに描くかということは、<時間>をいかに描くかということでもある
4.小説家にとって<時間>から解放された小説を書くことは困難だが、挑戦すべき課題である
正解:24433
参考译文:
小说既然是建立在人类生活现实上,就绝对不能从束缚生死的时间中解放出来。到不如说难道小说的命运不正是一面梦想着朝更广阔,更丰润的空间飞翔,飘逸;一面又时常被系在腰间的时间这一具有讽刺意味的救命绳所守护,束缚, 禁锢吗?
虽说小说像那样被时间紧密的联系着,但小说中活着的,动的并不是日历或钟表,而是出场的人物.当然现实生活中时间是看不见的,人们想方设法为了看见而生产出了日历或钟表吧.但是,小说中能看见时间推移的不是日历或钟表,而是一边翻着日历一边叹气,或是不安的表情看着墙上的钟表的形形色色的人物.极端的说,人类在某种意义上来说就是日历或钟表.话虽如此,我并不是把人类仅仅看成时间的函数来考虑,只不过是阐述人类的存在是极其自然时间表现这一事实而已.
比如,有这样的情况吧:描写生活在一起的一家人时,有幼小的小孩,有父母亲.这样的父母和孩子就是时间连锁中出生的.也就是,有了成为父亲的男性和成为母亲的女性,才有小孩的出生.经常被说的小家庭是指2代人构成的家庭.在这里,可以说原因和结果是最短的距离面对面,构成最小单位的家庭.
在这样的家庭里,如果加上上一代的祖父,或祖母,那么与2代的家庭就会出现微妙的差别.父母和孩子就会出现双重关系,单纯的原因,结果很难将祖父母和孙子们很难联系在一起.也就是,与小家庭相比,父母和孩子的关系就会变得相对化.对一些家庭来说老人的存在未必是必要的,但是另一方面老人的存在对于这个家庭来说难道不也称的上是时间的本身吗?原来只有父母和孩子这2代人相对的时候,由于原因与结果的结合太直接未能看的清楚,通过加入祖父母而突然之间变得立体浮现出来,难道不存在这样的事实吗?
老年人们通过显示父母们也曾经是孩子这一事实,让孙儿们窥视到时间不可思议的身影,同时他们也在通过自己的老态把时间的沉积暴露在家人面前。也就是,时间以想逃也不能的血缘关系为素材在家庭中展现了其本性。
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