死者をどのように埋葬するかは、民族の死生観や他界観にかかわることであり、その民族の文化の根本をなすものである。肉の復活の思想を根底に置くキリスト教文化においては、遺体は丁寧に飾られて、来るべき復活に備える。遺体を損傷するなど許されざるタブーである。一方、輪廻転生のなかで魂の実体を信ずるインド文化においては、遺体そのものは重大な関心事にならない。
怎样埋葬死者的问题,关系到一个民族的生死观与彼世观,构筑了其民族文化的根本。在植根于人死后肉体复活思想的基督教文化中,遗体会被精心打扮,以备将来复活那一天。因此,毁损遗体是绝不可行的禁忌。而在印度文化中,人们相信存在一个轮回转世的灵魂实体,遗体也就并不值得过分关心。
注:印度的轮回思想相信轮回中有自我的灵魂,一切众生的自我来源于“梵”,解脱即回归于“梵”,与“梵我合一”的状态。这与佛教所说的轮回不同,佛教的轮回并没有一个像灵魂一样的主体,而是业力聚合而成的能量,恒常不停的运作,就如瀑流,当中并无一个灵魂实体的存在。
遺体の扱いという点では、土葬と火葬は両極端に位置する。したがって、この両者が同一の文化の中で共存することは、通常は考えがたいことである。しかし、日本においては何故か矛盾、対立を伴わずに共存してきた。日本の長い歴史の中では、土葬が主流であったといえるのだが、それでも、火葬が忌むべきものとして、排除されたことはなかったのである。
就处理遗体这一方面来看,土葬与火葬处于两个极端。因此通常很难认为两者能共存在同一类型的文化中。然而不知什么原因,在日本,它们却能毫无冲突地共存下去。在日本漫长的历史中,可以说土葬一直是主流,但即便如此,火葬也并非作为一种禁忌而被忌讳排斥。
これには、日本人が古来抱いてきた死生観や、その背後にある霊魂と肉体との関係についての見方が、背景にあったものと思われる。日本人本来の宗教意識の中では、魂というものは、肉体とは別の、それ自体が実体をともなったものであった。魂は、肉体を仮の宿りとして、この、あるいは、あの、具体の人として現れるが、肉体が朽ち果てた後でも、なお実体として生き続け、時にはこの世にある人々に対して、守り神にもなり、また、厄病神にもなった。しかして究極においては、ご先祖様として、神々の座に列することともなるのであった。
要说这一现象的背景,恐怕是和日本人自古抱有的生死观、及其背后对灵魂与肉体之间关系的观点有关。在日本人固有的宗教意识里,“灵魂”与肉体并不是一体的,它本身的存在就伴随有实体。灵魂把肉体作为暂时的居所,尽管它作为某个具体的人物出现,但在肉体彻底腐烂后,灵魂仍能作为一个实体继续存在,对现世的人们而言,它们有时还会成为守护神,也或是成为瘟神。而到了最终,它们也会被奉为先祖位居诸神之列。
注:中国也有类似的观念,即“魂魄”,魂属阳神,相当于精神,魄属阴神,相当于形体,人死后魂归于天,魄归于地。
古来、日本人にとっては、人の死とは、霊魂が仮の宿りたる肉体を離れて、二度と戻らない状態を意味した。霊魂はまた、一時的に肉体を離れることもある。であるから、人が失神したときには、必死になって霊魂を呼び戻そうとした。近年まで各地で広範囲に行われていた、魂よばいといわれる一連の儀式は、日本の葬式文化の特徴をなすものであったが、それはこのような霊魂観に裏付けられていたのである。皇室において、「もがりの宮」という儀式が伝統的に催されてきたが、これも、魂よばいの洗練された形態と考えられるのである。
自古以来,对日本人来说,所谓人的死,即意味着灵魂离开了暂居的肉体,从此不会再回来。而有时候,灵魂也会暂时性地脱离肉体。因此在有人昏迷时,人们就会拼命呼喊,让灵魂重新回来。这种一连串的仪式被称作“招魂”,直到近年还在日本各地广泛流行,它形成日本墓葬文化的特征,其底流就是日本人的灵魂观。在皇室,自古举行一种叫做“殡宫”的传统仪式,这或许也是民间“招魂”被提炼后发展出的形态。
注:中国民间很早就有招魂之俗,称“叫魂”、“喊魂”、“招魂”。人死后,死者亲属会手持死者的衣服,登上屋顶呼喊名字。
霊魂がなかなか戻らず、遺体が形を崩し始めると、人々はいよいよ死というものを受け入れざるをえなくなった。こうなると、残された亡骸は、生きていたときのその人の、今の姿なのであるとは感じられず、たんなる魂の抜け殻に過ぎなくなる。抜け殻になってしまった遺体は、一刻も早く埋葬する必要がある。そうでないと、悪霊が乗り移って、災厄をもたらさないとも限らないのである。
当灵魂迟迟不归,遗体开始腐败时,人们就不得不承认死亡这一事实。这样,留下来的遗骸只不过是一具没有灵魂的空虚躯壳,眼前的容色已与死者在世时不同。这具成为躯壳的遗体需要尽快埋葬起来。若稍有迟缓,就可能为恶灵所趁,给人们带来灾厄。
日本人は、どうも死者の遺体に無頓着なところがあるといわれ、それがまた火葬が普及したひとつの背景ともなっているのだが、その理由の大半は、以上のような霊魂観にある。ところで、霊魂のほうは、肉体を離れた後、すぐに遠くへといなくなってしまうわけではなく、死者の墓や遺族の周辺に漂っているものと考えられた。遺族が供養したのは、死者の亡骸そのものというより、この漂う霊魂を対象としていたのである。
日本人似乎并不怎么重视死者的遗体,这也成为火葬普及的一大背景,但究其理由,大部分则源自上述的灵魂观念。而灵魂在离开肉体后并不会立刻消失在远方,它仍会在死者墓前或家属周围徘徊一阵。因此家属所祭奠的对象,与其说是遗骸,不如说是这个游荡的灵魂。
この漂う霊魂が、いかに実体を伴ったものとして考えられていたかは、菅原道真の例によく現れている。平安時代の人々は、道真の怨霊が仇敵らにたたって、その命を奪ったのだと、真剣に受け取ったのである。しかし、霊魂もいづれは、この世を去ってあの世に行くものと考えられた。あの世とは、古代人の意識の中では、おそらく天空であったと考えられる。そして、あの世とこの世の接点になるのは、だいたい山であった。霊魂は、折節につけ、あの世から山を伝わってこの世に戻って現れ、人々の生き様を見守るのである。
在日本人的观念里,徘徊的灵魂到底是如何伴随有实体存在的呢,这在菅原道真的例子就得到了很好的说明。平安时代的人们相信,道真的怨灵在他的仇敌身上作祟,夺取他们的性命。但灵魂迟早有一天也会离开此世,前往彼世。在古人的意识里,恐怕彼世就存在于天空。那么山岳就成为了此世与彼世汇合的地方。灵魂有时会沿着大山从那边的世界回到这边的世界,守护现世的人们。
道真作祟
日本各地に古くから行われている、祭りや年中行事の殆どは、神となった霊魂を山中あるいはその代替としての依代に迎えいれ、ねぎらうという体裁をとっている。神道の諸行事は、それを体系化したものにほかならない。死者の霊魂があの世に移るのは、死後33年たった頃か、長くとも50年後のことなのだろうと考えられた。遺族による祭祀も、このあたりが節目となるし、またこの頃にもなれば、霊魂も安らぎをえて、あの世に上り、ご先祖様として、神になることができただろうと考えられたのである。
日本各地自古以来所举行的各种庙会及每年的定例仪式,大部分都采用这种形式,即把成为神的灵魂迎入山里或作为山代替的“依代”。神道的各种仪式正是以上习俗系统化后的产物。死者灵魂前往彼世界的时间是在死后33年后的日子,最长也就是50年后。因此,家属的祭祀也以这个时间为一个阶段,当这一天再度到来时,灵魂已得到安息,上升到那个世界,成为了人们的先祖神。
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