1960年のローマ五輪、マラソンはエチオピアの無名選手アベベ・ビキラが制した。裸足で走り切った逸話が残る。アベベは東京で連覇を果たし、異色ではなく偉業でオリンピック史に刻まれた
▼在1960年的罗马奥运会上,马拉松比赛的冠军被当时一位并不出名的选手阿贝贝•比基拉夺得。留下了一段赤脚跑完全程的佳话。而在东京奥运会上,阿贝贝成功卫冕,其卓越的成绩永载奥运史册。
▼ロンドンでも「裸足」が注目されている。義足ランナーとして初めて五輪に参加し、400メートルに出た南アフリカのオスカー・ピストリウス選手(25)だ。準決勝で敗れはしたが、同走の選手が敬意の印にゼッケンの交換を求めてきた。9日にはリレーを走る
▼本届伦敦奥运赛场上的“裸腿”也是备受瞩目。他就是奥运史上,首位戴着假肢参加奥运400米田径比赛的南非选手奥斯卡•匹斯特利斯(25岁)。尽管输掉了半决赛,但同组的选手深表敬意,希望能和他交换号码布。9日,他还将参加接力比赛。
▼両すねの骨を欠いて生まれ、程なく膝(ひざ)から下を切断した。「私の義足は靴と同じ」。10代から短距離を磨き、北京パラリンピックでは敵なし。その走りに、工業デザイナーの山中俊治(しゅんじ)慶大教授は「究極の機能美」を感じた
▼因为先天性缺少小腿骨,所以出生不久就截去了膝盖以下的部位。他说,“我的假腿就像我的鞋一样”。从10岁开始就训练短跑,在北京的残奥会上他所向披靡。对于他的步伐,身为庆大教授的工业设计师山中俊治,感觉到一种“极致的机能美”。
▼「ブレード(板ばね)の弾力を巧みに使って送りだされる高速の足元は、その薄さゆえに走行中はほとんど映像から消えてしまう。飛んでいるようにさえ見えた」と、近著『カーボン・アスリート』(白水社)にある
▼在最近出版的著作《碳素钢假肢运动员(carbon athlete)》(白水社出版)中有这样一段描述:“通过巧妙地运用板簧的弹力,使行进的双脚快速移动,因为板很薄,所以跑起来几乎看不见,就像飞起来一样。”
▼肉体との一体感は猛練習のたまものだろう。称賛の一方で、義足は加速装置ではないのか、といった批判もくすぶる。「道具によるドーピング」の声に抗し、彼は出場規定のハードルを幾つも越えてきた。たどり着いたのがロンドンだ
▼将机械和肉体能如此完美地结合起来,是他拼命练习的结果。而在称赞的另一面,对于假肢是加速器的批判也随之而来。他承受着“使用违规器械”的舆论压力,多次接受比赛使用器材的检查,最终他克服了重重阻碍来到了伦敦的赛场。
▼10年前に亡くなった母親の言葉がいい。「オスカー、敗者とは最後にゴールする人じゃない。はなから出場を諦めちゃう人を言うんだよ」。五輪スタジアムを包む喝采は、なるほど、勝者に向けた響きである。
▼10年前去世的母亲有一句话说得很好。“奥斯卡,真正的失败者并不是最后一个跑到终点的人,而是从一开始就放弃比赛的人。”奥运体育场里此起彼伏的喝彩声,就是对获胜者最大的鼓励。
以上就是日语学习资料:天声人语之奥运胜者无冕之王 的相关介绍,如果能将《天声人语》不费力地读懂,读其他的文章也应当没有太大的困难哦!希望通过对《天声人语》的文章解读,一方面可以提高日语学习者的日语读解能力,同时也可以达到多方面了解日本的目的。
您还有可能关注: