「日本の憲法は押しつけられた」「いや、そうではない」と戦後68年の今も論議は続く。その憲法の草案づくりに加わったベアテ・シロタ・ゴードンさんは、いつもこう語った。「日本の憲法はアメリカよりすばらしい」。そして憲法が日々の暮らしに根を張ることを願ってきた
“日本的宪法是强加于人的”“不不,并不是这样”,直到战后68年的今天,这一争论仍在继续。曾参与宪法草案起草工作的贝雅特・西洛塔・戈登(Beate Sirota Gordon)则一再强调说,“日本的宪法比美国的都好!”,并且期待着这一部宪法植根于日常的生活。
▼憲法24条は男女の平等をうたう。草案の人権小委員会の一員として22歳でそれを書いた彼女の訃報(ふほう)が、米国から届いた。89歳。ただ書いただけでなく、戦後の日本を見つめ続けた人だった
▼宪法第24条倡导男女平等。作为草案人权小委员会的一员,22岁时写就这一条款的她,其去世的讣告从美国传到了日本。她不仅是一位执笔这一条款的人,还是一位始终关注着战后日本的人。
▼戦前に一家で日本へ来た。少女時代を東京で過ごし、二・二六事件にも遭遇する。開戦前に単身渡米して学び、戦争が終わると、両親を捜すために連合国軍総司令部の要員に応募して日本に戻った
▼战前举家来到了日本,在东京度过了她的少女时代,并遇到了二・二六事件。开战之前只身渡美完成学业,战争结束后,为了寻找父母应召成为了联合国军司令部的要员重返日本。
▼憲法施行の年に離日したが、その後も訪日を重ねた。各地での講演は100回をゆうに超す。かつて同僚の取材に、草案を書いたことを「ちょうど私がそこにいただけ」と答えていた。さりげない言葉の向こうに、だれが書こうが平等は普遍の原理だという信念が感じられたものだ
▼虽然在宪法实施之年离开了日本,可之后又多次造访,在各地的演讲实实在在地超过了100场。面对同事的采访,当谈及起草草案一事时,仅淡淡地表示说,“只是正巧我参与了此事而已”。从她淡定的言语深处让我们感受到一种信念:无论谁执笔,平等是普遍的原理。
▼社会にも会社にも女性の力が求められて久しいのに、この国での進出は今もおぼつかない。企業や官庁に幹部は少なく、首長も議員も一握り。ある調査では男女の平等度は135カ国中の101位とお寒い限りだ
▼无论是社会还是公司需要女性力量的奉献已旷日持久,可是,在这一国度女性的参与仍不尽如人意。企业及各级政府机关女性干部甚少,首长和议员更是极少部分。据某项调查表明,男女平等程度在135个国家里仅处于101位,不免令人心寒。
▼ベアテさんの最後の言葉は、日本国憲法の平和条項と女性の権利を守ってほしい旨の願いだったという。元気を欠きがちなリベラルへのエールのように、それは聞こえてくる。
▼据说,贝雅特女士最后留下的是旨在保护好日本国宪法中和平条款和女性权利条款的愿望。传入我们耳际的这声音,就像是对于精神极易不振的自由主义的巨大声援。
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